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Lond 代表 斎藤信太郎PART1「美容師か経営者になりたかった」

『M’s ROOM』編集長が話題の人に話をきいていく、「徹子の部屋」みたいな企画です

銀座のLondというと、近年の美容界の話題をさらっているサロン。店舗開店のスピード、海外進出と、破竹の勢いでシェアを広げている。その代表取締役の斎藤信太郎さんは、CHOKiCHOKiとは縁が深いんです。優秀なビジネスマンとして、また元おしゃれキングとしてインタビュー。

編集長(以下/み):美容師になろうと思ったのはどうして? 

斎藤(以下/斎):動機はけっこう不純ですよ。モテたかったっていうのが一番大きな理由だし。中学生の頃に木村拓哉さんのTVドラマ「ビューティフルライフ」を観て、カッコいい職業だなと思って。劇中でキムタクが着てた服も着てたし、バイクも乗ってたし。

み:懐かしい! TW?

斎:TWです。それくらい影響されました。なりたい職業はいくつかあったんですけど……僕は中高の学生時代において何かにすごく努力をしてたとかではないんですね、部活もバイトもやってないし。それで、自分が人より優っているものはなんだろうと考えた時に、ルックスだと。

み:笑! そんなことズケズケいうんかい(笑)

斎:「おれ、ルックスだな」と(笑)。ルックスで戦える職業がいいと思った時に、美容師……自分の最大の武器を生かせるのは美容師なんじゃないかなと思った、それも選んだ理由です。

み:何? キミ、ひょっとしてチャラい高校生だったの?

斎:思いっきりそうです(笑)。まあ、あまり良くない高校生ですね。

み:それで専門学校は日美へ進学して。

斎:それこそ初めてCHOKiCHOKiに出させてもらったの、高1の時なんですよ。高校に入る前に、初めて原宿の美容室に行ったんです。それこそCHOKiCHOKiをみて、一番上手だったので、この人に切ってもらいたいと思って。それが当時のelfで、売れっ子だった加藤孝子さん(現ROOTS)。カットカラーをしてもらったんですが、その帰りに別のサロンにハントされたんですよ。初めて「撮影やりませんか?」って。将来は美容師っていうことが頭にあったので、どういう職業か見てみたいなと思って引き受けました。それから高校生になってもヘアモデルをやりながら、いろんな美容師さんに「どの美容学校がいいですかね?」って聞いていたら、当時は日美が多かったので、それで日美にしました。

み:リサーチしたのか。合理的だわ。

斎:なんだったら最初に入った美容室もそうです。実際に業界で働いている人の「あそこいいらしいよ」という評判を聞くのが一番確かだと思って、いろいろ聞いて選んだのが前の店です。

み:いざお店に入って美容師になって。美容師という仕事がわかり始めたのはいつ頃?

斎:想像通りでした。働いてみたら辛かったというのはなかったですし。

み:以前は、確か厳しいことで有名なお店じゃなかったっけ。

斎:毎日夜の3時くらいに帰って、朝8時には出勤して、休みも練習、撮影でしたけど、ぼくは全然キツくなかったんですよ。というのは、よっぽどの覚悟があったんだと思います。新卒で入る段階で、とてもきついとは噂されていましたし、そういうところに身を置きたいとも思っていたので。「おれはここで一番になるんだ」っていう気持ちが強かったですし、最終的には経営者になりたかった。

み:あ、その頃から経営者願望が?

斎:専門学生の頃から経営者になりたかったです。もっというとお金持ちになりたかったので。

み:それは美容で経営者になりたかったの? 他の分野でもよさそうな…。

斎:くだらない夢なんですが、中学生の頃は経営者になるのも夢だったです。美容師になるか経営者になるか。当時は、それこそ日本を代表する経営者になりたかったですし、さらにいうと小6の時は総理大臣になりたかったです(笑)

み:ちなみにキミんちってどういう家庭なの?

斎:親父、官僚です。ぼく、けっこう良家の育ちなんです(笑)。いいとこの子(笑)。大学の理事長を歴任して、文科省っていう。そんな家庭が関係あるかわかりませんが、人の上に立ちたいとずっと思ってました。総理大臣か社長になることがそうなんだろうなって、幼心に思ってて。ガキ大将でもあったので、人より目立ちたいし、人の上に立ちたい、人を動かしたいという。人に動かされるのは嫌だったんですよ。先生の指示とか嫌だったし。

み:そんな育ちと目標があって、アシスタントの頃は何を考えていたの?

斎:「こういう厳しさ、辛さ、上下関係、こういうのを待っていたんだ、俺は!」っていう、ゾクゾクする感じでした。で、最速でスタイリストになることと、数字を上げることを念頭に置いてました。だから日々の業務をちゃんとっていうより、早くスタイリストになって、早く売り上げあげて、こいつら全員抜いてやろうって思ってました。けっこう嫌な後輩でした。かなりオラオラしてたみたいです(笑)。

み:デビューまではどのくらい?

斎:3年半ですね。

み:早いよね。

斎:でも、今の方が早い傾向ですよね。時代的に。

み:じゃあデビューした時の感想としては「こんなもんか」的な?(笑)

斎:こんなもんかとは思ってないですよ(笑)ぼく、自分では記憶にないんですけど、デビュー月に来てくれたお客様たちが今でもいうには、「早くハサミを置きたいんだ」っていってたらしいです。当時「早く経営者になるんだ」って。

み:かわいげのない新人だな(笑)。

斎:そうなんですよ(笑)早く独立したいんだ、と。

み:ではこの質問にはどう答えるか……どんな美容師になろうと思ってた?

斎:プレイヤーでやる以上は、もちろん売れたいというのはありました。給料が欲しかったんですよ。そのためには売り上げを上げなきゃいけない。売り上げを上げるためには目の前のお客様を幸せにしなきゃいけないという考えでやってました。でも、今はそうじゃないなと思ってます。スタッフたちにもそうあるべきではないと言ってます。

なぜかというと、それって経営者的な発想じゃないですか? 自分の目標を設定して、それに対してどう近づいていくかアプローチを考えていくという。それはそれで正しいのかもしれないですが、やっぱり「お客様を大切にする」というのが美容師のあるべき姿で、その先に売り上げがあって、給料が上がってというのが本来だと思います。ぼくはその頃の考え方は逆だったので、実はあまり目の前のお客様のことは考えていなかったかもしれないです。すごくロジカルにものを考えていく美容師でした。だから、逆に独立起業がうまくいったのかもしれないですが。

み:じゃあ、それは今では変わったと?

斎:そうですね。ぼくのスタンスは逆にいうと失敗事例かもしれないと思いますから。よくないな、お客様にとってはよくない考え方だと思えますし。自分が独立してから、客観的に見て、そう思いました。そうあるべきじゃない。実際、ぼくみたいなスタンスじゃない方が数字が伸びますし。

み:今はハサミ持ってるの?

斎:ほぼ持ってないと言っていいでしょうね。

み:美容師やっていて嬉しかったこと、辛かったことは?

斎:辛かったことはマジでないですね。

み:じゃあ辞めたいと思ったこともないんだ?

斎:ないですね。ずーっとテンション高くて。マジこの仕事向いてるなって思ってたんで。

み:美容師をやっていて嬉しかったことは?

斎:デビュー月ですね。初月の売り上げ230万円なんて、当時は業界でも最高じゃないかって言われていたくらいだったので、そこに向けて頑張って、モデルも並行してやっていたので。上げた時は達成感がありましたし、アシスタント時代のすべての集大成という感覚はありました。

み:当時おしゃれキングでもありましたが、思い出ありますか?

斎:おしゃれキングじゃなかったら、今のぼくはないでしょうね。

み:ホントか?(笑)

斎:絶対ないと思いますよ。それこそ数字が上がってないと思うし。若き日の業界での知名度をあげてくれたのは、間違いなくCHOKiCHOKiなので。いまだにうちのスタッフたちにも、見てましたと言われますし。うちのスタイリストたちの世代にはドンピシャだったりしますし、それで入ってくる子もいたくらいです。

み:へ〜。

斎:すごく今に生きてます。あの頃、知名度が上がり売り上げが伸び、外の仕事も増えていったので。それで業界に認知され、今はセミナーができることにつながったり。間違いなくここがきっかけです。CHOKiCHOKi出てて、わりと若くして独立してみたいなプロフィールが通りますから。

<さてさて、野心溢れる若者・斎藤信太郎が、いかにLondを成功させたのか?続きはPART2で!!>

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