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THEATER 佐々木達也さんPART1「THEATERで働く全ての従業員の物心両面の幸福の追求をするとともに美容業界に貢献する」

サロン業界界隈でウワサは耳にしていたんですよ。「すごい勢いのサロンがある!」と。2016年に青山にオープンしてから、あっという間に8店舗まで拡大! 「その仕組みがまたすごい」と!!  これは話を聞くに行くしかないでしょう!!  4人の代表のうちの一人、佐々木達也さんにインタビューをしました。7番目の店舗となる池袋の『LAND』でスタート。

編集長(以下/み):まずは佐々木さんの美容キャリアを伺いたいのですが、どうして美容師に?

佐々木(以下/さ):そもそも大学行こうと思っていたんです。自分の将来はそれが正しいんだろうと思ってました。中学の時は、野球と勉強を両立させようと思って一生懸命やっていたんですが、引退して坊主を伸ばし始めた時に初めて美容室に行ったんです。そこは女性が一人でやっている美容室だったんですが、仕上がりがもうカッコよすぎて!「美容師っていいなあ」と単純に思ったのがきっかけです。

それで高校入って受験勉強をやっていたら、多分高1のころにCHOKiCHOKiが出たんですよ。創刊の頃だと思います。

み:へー。

さ:ボクは秋田出身なんですが、窪塚洋介さんが表紙の号を見て、ちょうどカッコつけたいという年頃でもありますし、グサっとささりました。それがとどめでした。ボク、CHOKiCHOKiのおかげで美容師になりました(笑)。あのCHOKiCHOKiはめちゃめちゃ大事に高校3年間持っていましたし、それからずっと買ってましたよ。

み:あざーっす!(笑)

さ:あの頃はCHOKiCHOKi読んでるやつがおしゃれって感覚でしたから。でも秋田に住んでるから、雑誌に載っている洋服も買えずに。東京にも行けるわけでもないし。で、そのころ、その美容室でバイトを始めたんですよ。その女性美容師の方の人間性がすごい良くて。お客さんと毎日楽しそうだから、「こんな職業があるの?」って思って、引き込まれていきました。そうなると受験勉強がおろそかになっていくんですよね(笑)。進学校なのに。

み:よく高校生をバイト雇ってくれたね??

さ:ただひたすら熱意でしたね。「なんでもやるから」って言って。主に土日ですが、平日にも遊びに行ったりして。その人との出会いが大きいですね。で、CHOKiCHOKi置いてくれって言って、置いてもらったり(笑)。ボクの友達も、そこに行かせたりして。でも美容師になることは、親にはずっと反対されていたんです。大学に行くものだと思ってたから。ただ母親が僕の気持ちを察したらしくて、あるACQUAの本をくれたんですよ。「お母さんは、応援するわ」って言って。当時美容ブームもあったし、「もうこれになるしかないし、なりたい!」って決意しました。結局、親父に土下座して東京の美容学校に進むことになったんです。

み:いよいよ上京ですね。

さ:でも、それからなぜか一年フリーターしたんです、ボク。

み:は?

さ:高校卒業して東京きて1年間、フリーターしました。「このまま専門学校に行って就職したら、俺はフリーターっていう人生を送ることができないな」と、自分で稼いでみたい、接客業をやってみたいと思ってバイトしてました。変ですけど。それで1年後にベルエポック美容専門学校に入りました。美容学生の頃は、毎月CHOKiCHOKi買って、出ている人に憧れて、着ている服に似た服を探して買ったり、学校が原宿にあったから撮影隊がいるか確認したくて遠回りして帰ったりして、本当にミーハーでしたよ(笑)。

み:で、卒業を迎えて……。

さ:学校の先生に勧められてMINXに入りました。そこの同期にいたのが、今一緒に代表やっているSHIGERUです。

み:あ、もうそこで出会ってるんですね。

さ:MINXには8年2か月いたんですが、「世界一周行きたいな」と思うようになったんですよ。30歳までに行こうと決めたので、一旦MINXをやめて、業務委託サロンと夜のバーのダブルワークで資金を作りました。そのバーに、すでに別のサロンに移っていたSHIGERUと、そのサロンに勤めていたTAKE(代表)がきていたんです。よく会ったりしていろいろ話していくうちに「美容業界こうだよね」なんて話もしながら。で、そのうち「自分たちでやる?」って話になり。最初は絵空事だと思っていたんですが、この三人で組んでやる必要があるなと確信して。ボクは予定通り世界一周に行っちゃうんですが、それも快く送り出してくれたんですよ。よくよく考えたら優しいですよね。

み:へー。

さ:それで帰ってきて、行く前と同じように業務委託とバーで働き始めるんですが、そのバーにお客として来ていたのが当時LIPPSにいた大井(大井雅貴代表)です。いつもいて、絶対ボクら3人の未来の話が聞こえてるとは思うんですよ。でもこっちからは話さない、みたいな(笑)。それから話すようになり、いろいろ話していくうちに、大井も絶対必要だってことになり、本格的に始めようってことになってスタートしました。

み:ちょっと振り返っていいですか? そもそも美容の仕事は好きでしたか?

さ:めちゃめちゃ好きでした。

み:それはいつ頃から?

さ:学生の頃から大好きでしたね。成績も一位とりたいとしか思っていなかったですし。MINX時代も練習してたら、徹夜になっちゃって翌朝の鍵当番がくるくらい熱中していたなんてこともありましたし。

み:デビューまではどのくらいかかりました?

さ:4年半くらいです。当時は6〜7年かかっている先輩もいて、早い子で4年ちょいくらいで。撮影もやってたんですが、爆売れはしていなかったです。教育とかは好きでしたけど。技術の講師みたいなことはやっていて。よくいる技術大好き屋さんでした、昔は。とりたてて目立たず、ひっそりいるタイプでした。

み:きついとかはなかったんですか?

さ:それ、よく後輩にも話すんですけど、ないんですよ。きつい、辛いは。仕事好きでした。いまだになんですけど、仕事に行きたくないって思ったこと一回もないんです。

み:そんなに仕事がフィットして幸せだね。

さ:幸せですね。世界一周まで行っちゃったし(笑)

み:ちなみに世界一周はどのくらい行ってたんですか?

さ:1年間です。ちょうど“旅人美容師ジュンくん”が、ハサミ持って世界一周をして話題になっていた時期です。その裏でひっそりハサミ持って世界一周してました(笑)。全然目立たずに。

み:その世界一周へ行く前に、こんな美容師になりたいとかはあったんですか?

さ:あんまり飾らない人になりたいなとは思ってました。カッコつける仕事ですけど、あんまりカッコつけすぎない。控えめ控えめみたいな。

み:そのころは「いつか自分のお店を!」なんて思うこともなく?

さ:先ほどお話ししたように、世界一周に行くころにはだいぶ思ってたんですけど……その前は、知りたいものを知りたい、見たことない景色を見たいとか、そっちの気持ちの方が強かったです。ずっとMINXっていう偉大なサロンの看板に守られている感覚があって、自分からMINXを取ったらどうなるのかなとか、美容師を取ったら、日本人を取ったらどうなるのかなとか、素の自分と会話したくて世界一周に行ったみたいなところもあって。あと死ぬ前に一回行っとかないと、というのもあり。日本に帰ってきたらクソ仕事しようって思っていました。

み:世界一周の予算は?

さ:240万円です。帰ってきたときのために60万円は残しておきたかったんで、それを引くと180万円です。日本にいて生活するより安いんですよ。

み:ちなみにどこからスタートしたんですか?

さ:中国からです。中国〜東南アジア〜中央アジア〜中東〜ヨーロッパ〜アフリカ〜南米〜アメリカ〜台湾〜香港というルートでした。

み:なんかエピソードあります? 危険な目にあったとか。

さ:それがないんですよ。何か面白いこと思って帰りたかったんですけど。

み:え? まさかのエピソードトークなし?

さ:ないんですよ、本当にない(笑)。ただハサミは持っていたので、宿が一緒の日本人とかいろんな国籍の人を切ったり、そういうのは遊びでやってましたけど。楽しかったですけどね。でも、出発して1か月したら、もう帰りたくなってました。

み:もうホームシック?

さ:いや、仕事好きなので。当時やっとフェイスブックが始まった時で、SHIGERUとかTAKEのフェイスブックを読んだら、あいつらめっちゃ頑張ってるんですよ。『今日も撮影だ』とかって。そうすると虚しくなるんですよ、自分が「世の中に何の貢献もしてないな」って。何も生んでない。適当に起きて移動して景色見て。人とコミュニケーションとって……それ自体は楽しいんだけど、なんかぽっかり穴が開いたまま世界一周している感じでした。だから日本に帰ってきたときには「仕事してえ!」って欲望マンキンでしたね。お店の話もある程度進んでるし、もうこれはやるしかない、と。よーし! と。

み:そもそも自分たちでお店作ろうっていう気持ちに火がつく原因って何だったんですか?

さ:「美容師って40歳以降って詰んでるな、平均年齢29歳とかで。なぜだろう? 新卒はいっぱいいるのに……年をとると辞めていくんだな」と思いたって40歳以降にはどうなってんだろうと調べると、他の仕事に変わってるんですよ。それも誰でもできそうな仕事に転職していく。そんな仕事には今後はAIテクノロジーがくるはず。これは、美容師は死ぬなと。「これからは、手に職があるっていうことは通用しないんだ」というところに思考が着地した。

そこで「これは、今まで美容師をやってきた自分たちが業界を変えられるのであればやりたいし、おこがましいけどやらないのは罪だな」という思いが強く出てきました。業界に詳しくて、撮影がうまくアーティスティックなSHIGERUがいて、めちゃめちゃ未来が見え、会社のブレーンの才があるTAKEがいて、そこにメンズに強く、ボクらにない能力を持つ大井がいて、ボクも文章とか得意だったりするし、労務や教育も好きだったので、それぞれ得意分野が違うこの四人が必要だってことで。「自分たちで美容業界変えよう、最高の会社づくりをしよう!」って意気上がって始まった感じです。

み:変えようっていう理想の先はどんな姿ですか? 高い収入とか、長い労働年齢にしたいとかありますが。

さ:まず最初は美容師の年収をあげたかったです。美容師は稼げないってイメージを変えたくて。業務委託をやってわかったのは、業務委託はどちらかというと個人プレー、それをもっと組織としてやりながら業務委託ばりの給料が取れるようなサロンがあってもいいんじゃないかな……と。それを想像してまた「やりて〜!」みたいな(笑)で、動いていきました。

あとは世の中を読んでというか、世間は今こういうことを求めいるからそれに応えようとか、一つ一つ積んでいきました。それをいつも営業後に、下北沢のバーだったり、誰かの家だったり、集まって毎晩のように話してました。細かい事柄まで。

み:そのときまで、帰国してからどのくらいですか?

さ:9か月くらいかな。2016年の6月に今の青山の物件が出てきて。ここがいい!と決めました。

み:それからスタートして、代表が四人いると意見はどうなるんですか?

さ:ちょこちょこ意見が割れるときもあるんですが、最終的に一緒になります。

み:リーダーがいるんですか?

さ:大枠はTAKEが考えてきます。議論のはじめのころは、それぞれ「俺はこう思う」「俺は」「俺が」って自分が出るんですが……「そうじゃなくてスタッフとかお客さんにとって、自分たちが目指す理念に向かって走るならどれ?」って話をしていくと、答えは一緒になるんですよね。最初に理念を決めたのは大きかったかもしれないです。

み:どんな理念ですか?

さ:「貢献」です。理念とは我々はなにか、なんのために存在しているのか、ですよね。業界を変えるとは言いますが、まずは基本的には、全員が他者貢献のための自己成長をする会社であること。言葉にすると「THEATERで働く全ての従業員の物心両面の幸福の追求とともに美容業界に貢献する」。これを念頭に置いていろんなことを考えていくと、意見が割れても着地は一緒になるんです。だからあんまり「俺はこれだ、これだ」と言って長時間もめたことはないですね。四人っていう数がちょうどいいのかもしれないです。

み:理念かあ。

さ:理念を決めた方がいい、絶対決めようって言ったのはTAKEです。絶対あった方がいいからって。なんのためにいるか、やるかをずっと考えようって言って。絶対ブラせられないから、それでやること変わってくるからと。みんなで色々考えて、最終的に俺たち何がしたいんだって行き着いたのが、全部貢献につながるわって……それから行動指針ができて。物心両面を幸福にするという。

 

THEATERの四人の物語の核心に触れてきた気がします。「理念」は、自分たちが迷った時に立ち返る場所でもあり、多くの企業が経営のためにもつ考え方です。もちろん理念をもつ美容室は少なくありませんが、こういう取材の場でその重要性を語る人は少ないかもしれません。続きは後半で!

 

 

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