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【美容師と服vol.24/Fumiyaさん(OLTA)と世田谷の『yauran』】

yauran


三軒茶屋と下高井戸を結ぶ、東京のローカル線・東急世田谷線。2両編成の電車に乗って、のんびりトコトコゆられて世田谷駅下車。南に向かって歩いて、世田谷通りを超えたあたり。高い建物がなく、都心らしからぬ穏やかな空気に包まれる街に、yauran(ようらん)はあります。

◼️60年代の後半から70年代初頭ぐらい、良質な生地の「ちょっとはみ出た」服

―稲葉さんはどんなキャリアなんですか?
稲葉「僕はコネクターでは高校3年、17歳ぐらいから働いていました。そこに2年半ぐらいいて池尻大橋にある『HAg-Le』(はぐれ)に移って、7〜8年いてから独立しました」
―高校生でこの世界に? 筋金入りですね。このyauranはどんなコンセプトですか?
稲葉「yauranは揺藍の英語表記なのですが、ゆりかごみたいな意味なんです。この空間がゆりかごみたいな。その中にいるのは赤ちゃん。赤ちゃんは何も情報がないものなので、自分が知っている情報で洋服を見るんじゃなくて、先入観や偏見をもたずにカッコいい洋服を見てほしいという思いを込めています。自分でも洋服を買い付けに行くときにそれを意識しています」
―そのコンセプトには、ご自身のキャリアが反映されてますよね。どうしてそういうふうに?
稲葉「前職の『HAg-Le』に勤めていたことが大きいかもしれないですね。『HAg-Le』自体は、ベースはかなりアメリカンカジュアルなお店なんですが、入荷されるものを見ていたら、自分はこの店の中にある一部分の洋服が好きなんだということに気がついて。おそらく100%の中の10%くらい。自分でお店をやるときはそこをフックアップしたお店をやりたいなって思っていたんです」
―それ、もっと具体的にいうと?
稲葉「なんだろう……僕が一番好きな洋服を仕入れるときに買うのは60年代の後半から70年代初頭ぐらいの洋服が多いんですが、その時代ってファッションの遍歴で言うと、メンズファッション自体はまだ洋服が多様化しているような時代じゃないんですよ。80年代ぐらいからいろんなデザインの洋服がいっぱい生まれて広がっていくんですが、当時はデザインのベースが決まっている時代なんです。そのベースがある洋服からちょっとはみ出た洋服とかが、60年代ぐらいのヴィンテージの洋服の中にたまにあったりするんです。そういうものをよく買い付けたりしていますね」
―かなりこだわりがある感じがしますね。
稲葉「60〜70年代のフラワームーブメントとかヒッピーカルチャーなど、抑制がかなり解放されてドラッグカルチャーとかになる直前の、人間にかなり鬱憤が溜まっているような時代の洋服がすごい好きというか」
―ふむふむ。
稲葉「生地の歴史を見ても、60年代の後半ぐらいで世界的に工場で使っている生地を織る機械が全部変わっちゃうんですよね。大量生産に向けて、スウェットの吊り編み機とかも全部変わりました。昔の方が時間をかけてゆっくり生地を作るから、いい生地ができるんです。そういう面から見ても価値を感じています」
―いくつぐらいからそういう勉強をしてるんですか?
稲葉「初めて古着を買いに行ったのが中学校2年生ぐらいだったんですけど、中高生の当時は寝る前に古着屋さんのブログを50件ぐらい読むみたいな生活をしてましたね」
―生地の勉強はどうやってするんですか?
稲葉「もう服を見続ける。古い洋服とか。で、いろんな人に話を聞きに行くってところですかね」

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